鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

このボカロ曲がすごい! ――2011年版

① ATOLS『バベル』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm13367851 ② (仮)P『僕が見た夢』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm13292706 ③ YM『十面相』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm13304052 ④ ナノウ『Waltz Of Anomalies』 http://www.nicovideo…

ボカロ私的良曲まとめ ――2015年1月&2月

① かいりきベア『アイソワライ』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm25611546 ② 西沢さんP『秘密男女の関係』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm25571970 ③ yukkedoluce『ワールド・オブ・パラドクス』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm25510379 ④ 石風呂『…

ボカロ私的良曲まとめ ――2014年11月&12月

① MI8k『不完全な処遇』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm25107796 ② 砂粒『シンクロサイクロトロン・スピリチュアライザー』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22888888 ③ ナブナ『夜明けと蛍』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm24892241 ④ ナナホシ…

恋愛、戦争、そして神的なもの ――小森健太朗『神、さもなくば残念』について

小森健太朗『神、さもなくば残念』はサブタイトルが示すとおり、2000年代以降における日本のアニメーション作品群について、思想的な語彙を用いながら批評していく書物である。 まず確認すべきは「モナド」の比喩だと言えよう。個々の共同体が相互不干渉…

批評家は進歩したのか? ――大澤聡『批評メディア論』について

大澤聡『批評メディア論』はサブタイトルが示すとおり、戦前期日本の論壇と文壇について論じたものである。しかしそれは単に日本の戦前期を文学史的に整理するのではなく、現代の批評が抱えている諸問題の起源を、批評が成立した戦前期に遡行することで見出…

このボカロ曲がすごい! ――2014年版

① ATOLS『ハデス』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm24955047 ② sleepless『xenosphere』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22997181 ③ ねこぼーろ『オノマトペメガネ』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm24598974 ④ keeno『morning haze』 http://www.nico…

神山健治『009 RE:CYBORG』について

神山健治『009』は監督・脚本の迷いが露骨に現れている映画だ。すなわち保守的に行くのか革新的にやるのか、あるいは娯楽作品にするのか文芸作品にするのか、そういう基本的な方針が定まっていないように思われる。原作に対して強欲貪欲だったのか優柔不…

ボカロ私的良曲まとめ ――2014年9月&10月現在

カラスヤサボウ「ガールフレンド・イン・マイ・ブルー」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm24761070 ねこぼーろ「オノマトペメガネ」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm24598974 石風呂「サンデーミナミパーク」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm24712348 …

バールーフ・デ・スピノザ『エチカ』について

バールーフ・デ・スピノザの『エチカ』は、タイトルが示すとおり倫理について論じた書物である。 本書は全五部から構成されており、それぞれの部は「神について」「精神の本性および起源について」「感情の起源および本性について」「人間の隷属あるいは感情…

相対的な他者へ、あるいは自明性の懐疑へ ――柄谷行人(編)『近代日本の批評1&2:昭和篇(上・下)』について

まず柄谷行人(編)『近代日本の批評1:昭和篇(上)』には、1925年から1935年までの日本近代批評を扱った論文と討議、そして1935年から1945年までの日本近代批評を扱った論文と討議が収録されている。いずれの論文も執筆しているのは柄谷…

第151回芥川賞受賞作、柴崎友香『春の庭』について

柴崎友香『春の庭』はその印象に反して難解な小説である。そしてそれは、柴崎が明確な主題のもとで本作を執筆しているにもかかわらず、決してその全容を明らかにしようとはしないからである。 柴崎友香の多くの小説は「期待の地平」(ヤウス)を裏切ることで…

絶対的他者から相対的他者へ ――柄谷行人(編)『近代日本の批評1:昭和篇(上)』について

柄谷行人(編)『近代日本の批評1:昭和篇(上)』には、1925年から1935年までの日本近代批評を扱った論文と討議、そして1935年から1945年までの日本近代批評を扱った論文と討議が掲載されている。いずれの論文も執筆しているのは柄谷行人…

空間性と時間性 ――マルティン・ハイデガー『存在と時間』とその批判(完成版)

はじめに マルティン・ハイデガー『存在と時間』はタイトルが示すとおり、存在と時間の関係について語ろうとしたものである。その第一部は「現存在を時間性へ向けて解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」ものである。彼は経験的な「存在者…

ボカロ良曲私的まとめ ――2014年7月&8月

ATOLS『ゾンビメイカー』http://www.nicovideo.jp/watch/sm24243135 電ポルP『曖昧劣情Lover』http://www.nicovideo.jp/watch/sm24237168 Mah『セクト』http://www.nicovideo.jp/watch/sm23898832 じーざすP『SI・RI・TO・RI』http://www.…

鏡像と自己の奇妙な関係 ――ジャック・ラカンの初期論文集『二人であることの病い』について

ジャック・ラカン『二人であることの病い』は、三つの症例報告と二つの論考から構成されている。ラカンは「症例エメ」と「パラノイア性犯罪の動機 ――パパン姉妹の犯罪」のなかで他者と自己の奇妙な関係について語り、のちにそれを「鏡像段階論」として整理し…

象徴交換の死、死の象徴交換 ――ジャン・ボードリヤール『象徴交換と死』について

ジャン・ボードリヤール『象徴交換と死』(1976)はタイトルが示すとおり、象徴交換の概念と死の概念について説明するものである。象徴交換とは、何らかの商品を現実的な物質として交換することではなく、言わば象徴的な記号として交換することを意味し…

虚実の逆説、あるいは反転と崩壊 ――じん『カゲロウプロジェクト』(『メカクシティアクターズ』)論

【MV】daze【Lyrics Ver.】 - YouTube http://www.nicovideo.jp/watch/sm18406343(チルドレンレコード) じん(=自然の敵P)のマルチメディアプロジェクト『カゲロウプロジェクト』は、物語前半において「虚構」と「現実」の逆説的な関係を提示したうえで…

TVアニメ『ラブライブ!』第2期について

TVアニメ『ラブライブ!』は単なる虚構ではないと感じた。おおよそ観客にとっての単なる虚構は、登場人物にとっては単なる現実のはずだ。しかし本作はそうではないのではないか。どちらかといえば、これは、ミューズがミューズの魅力を伝えるために演じた…

倫理的であること、修辞的であること。 ――西尾維新の〈物語〉シリーズについて(上)

西尾維新の〈物語〉シリーズは、大きく三つのシーズンに分けられている。まず『化物語』から『猫物語(黒)』までのファーストシーズン、次に『猫物語(白)』から『恋物語』までのセカンドシーズン、そして『憑物語』から『続・終物語』までのファイナルシ…

ボカロ良曲私的まとめ ――2014年5月&6月

①YM『キラワレ』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm23857262 ②ATOLS『ユラグ』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm23603700 ③カラスヤサボウ『共犯者』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm23675411 ④みきとP『しゃったーちゃんす』 http://www.nicovid…

ヘイトスピーチ、ポルノグラフィ、カミングアウト ――ジュディス・バトラー『触発する言葉』について

ジュディス・バトラーは『触発する言葉』のなかで、言葉が人を傷つけることについて考察している。ここで具体例として挙げられるのは、ヘイトスピーチとポルノグラフィとカミングアウトの問題である。まず、ヘイトスピーチを取り巻く米国の議論から見ていこ…

【告知】 『アニバタ』『Fani通』に奇稿します。【夏コミ】【サンシャインクリエイション】

こんにちは、籠原スナヲです。 たつざわさん編集の『アニバタ vol.9 特集:けいおん!&たまこラブストーリー』に拙稿を掲載して頂きました。 また、Fani通編集部の『Fani通2013下半期』に拙稿を掲載して頂きました。 どちらも、公式サイトはもうし…

通過儀礼の恋人たち ――山田尚子論2(『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』について)

山田尚子は京都アニメーション所属の監督、演出、アニメータである。TVアニメ『けいおん!』と『けいおん!!』(原作:かきふらい)、およびその劇場版である『映画けいおん!』で初の監督を務めた。さらにオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』、お…

イニシエーション・ラヴァーズ ――山田尚子論(『けいおん』について)

山田尚子は京都アニメーション所属の監督、演出、アニメータである。TVアニメ『けいおん!』と『けいおん!!』(原作:かきふらい)、およびその劇場版である『映画けいおん!』で初の監督を務めた。さらにオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』、お…

ボーカロイド良曲まとめ ――2014年3月&4月

①sleepless「xenosphere」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22997181 ②niki「平面説」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm23368297 ③ピノキオP「絵の上手かった友達」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm23298444 ④ねこぼーろ「さよなら4月のドッペルさん」…

マルティン・ハイデガー『存在と時間』について(上)

マルティン・ハイデガー『存在と時間』は、超越論的な原理たる「存在」の意味に関する問いを提示している。ハイデガーは、存在の意味に関する問いを反復する必要性を感じているらしい。まず本書は、存在の意味に関する問いを形式的・構造的に整理している。…

愛せない男たちの肖像 ――石原慎太郎論(「完全な遊戯」について)

0 ――遊戯の位置 石原慎太郎(1932~)は『太陽の季節』(新潮社、1956)で文学界新人賞と芥川龍之介賞を受賞してから、『北壁』(三笠書房、1956)、『狂った果実』(新潮社、1956)、『日蝕の夏』(三笠書房、1956)、『理由なき復讐…

ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』について ――現代フェミニズムの地平

ジュディス・バトラー(1956~)は1990年に『ジェンダー・トラブル』を発表した。本書は副題が示すとおり、私たちの性的アイデンティティに何らかのトラブルを起こすための理論書、それを通じて従来のフェミニズムに再考を促すための哲学書だったと…

批評とは何か? ――エドワード・サイード『知識人とは何か』『人文学と批評の使命』について

エドワード・W・サイードは『知識人とは何か』(1994)と『人文学と批評の使命――デモクラシーのために』(2004)のなかで次のように問うている。知識人、あるいは人文学者や批評家とはどのような存在であり、彼らは民主主義においてどのような使命…

梯子としての哲学 ――ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』について

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』は「語りうるものについては明晰に語りうるし、語りえぬものについては沈黙しなければならない」と述べている。これは思考可能なものと思考不可能なもの、というより表現可能な思考と表現不可能な思考の…

社会論としての前半部、文学論としての後半部 ――村上裕一『ネトウヨ化する日本』の整理と疑問

村上裕一『ネトウヨ化する日本』(2014)は、ネトウヨの本質を「ネット社会の暴走」と「セカイ系決断主義」に求めている。ネトウヨ現象は、ネット時代の「新中間大衆=フロート」が互いに空気を読み合いすぎること、すなわち互いに共感しすぎることによ…

ヘーゲル的ノマドロジー、カント的ノマドロジー ――柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』について

柄谷行人『遊動論 ――柳田国男と山人』(2014)は、私たちの遊動性(=ノマドロジー)を大きく二種類に区別している。ひとつ目は定住革命以後の遊牧民のそれであり、ふたつ目は定住革命以前の遊動的狩猟採集民のそれである。柄谷行人によれば、前者は80…

アメリカのアーキテクチャ、日本のアーキテクチャ? ――濱野智史『アーキテクチャの生態系』について

濱野智史『アーキテクチャの生態系 ――情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版、2008)は、アーキテクチャ(≒情報環境)の設計を生態系になぞらえて著述していく書物である。本書は時系列に沿いながら、インターネットという巨大なプラットフォ…

私的ボカロ良曲まとめ ――2014年1月&2月

電ポルP「スキスキ絶頂症」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22879165 ピノキオP「それぞれに人生がある」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22748403 tilt「プラスチックボイス」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22648333 なぎ「clock work」 http://w…

インターネットに善はあるか? ――TVアニメ『ガッチャマンクラウズ』について

TVアニメ『ガッチャマン クラウズ』(2013)は、言わずと知れた『科学忍者隊ガッチャマン』の長編TVシリーズ最新作である。しかし、本作は『科学忍者隊ガッチャマン』『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』『科学忍者隊ガッチャマンF』の三部作(1972~…

マルティン・ハイデガー『存在と時間』についてのノートその1

不正確なノートその1 マルティン・ハイデガー『存在と時間』は「存在者」と「存在」を区別した。存在者が経験的な領野において人や物として個別的かつ具体的に存在しているのに対し、存在は超越論的な観念の領野において人や物を統合的かつ抽象的に規定して…

これは対幻想2.0だ。 ――東浩紀『セカイからもっと近くに』の歴史性

東浩紀『セカイからもっと近くに』(2013)は「著者最初にして最後の、まったく新しい文芸評論」として書かれた。このことは翻って、エッセイ集などを除く東浩紀の著作には「文芸評論」が存在しなかったこと、すなわち文学的作品それ自体を対象にした批…

加害としての被害、悪意としての善意 ――山城むつみ『連続する問題』を読んだ

……被害の事実を誇張することで自身の加害の事実を「なかった」ことにする姑息な被害者意識、加害者としての自己を他者に投影した上で他者を攻撃する臆病な雄々しさに身を委ねてはならない。確固たる加害者を自己に発見する勇気を、まずは、自己のうちに育て…

黒瀬陽平『情報社会の情念』について

黒瀬陽平『情報社会の情念 ――クリエイティブの条件を問う』(2013)は、私にとっては今ひとつピンと来ない美術批評だ。タイトル通り、情報社会におけるクリエイティブの条件を「情念」などの概念から説明する本書は、しかし著者が警戒する「情報社会の球…

超現実性のゼロ年代、超虚構性のテン年代 ――藤田直哉『虚構内存在』について

藤田直哉『虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』(2013)は、筒井康隆の必要性を証明しながら二つの理論「超虚構理論」「虚構内存在」を描画し、2010年代における新たなる生の次元を開拓している。教育と進歩がもたらした破壊と、メディア…

このボカロ曲がすごい! ――2013年版

①ATOLS『プリセット』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21868513 ②task『明けない夜を壊せ』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm19806841 ③じーざすP『しんでしまうとはなさけない!』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm20331479 ④sasakure.UK『ツギハ…

批評という檻、解釈の迷宮 ――山川賢一の初期三部作について

山川賢一は新進気鋭の文芸批評家として、これまでに三つの単著『成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論』(2011)『Mの迷宮 『輪るピングドラム』論』(2012)『エ/ヱヴァ考』(2012)を上梓してきた。全て近年話題になったオリジナルアニ…

日本近代文学の起源の起源 ――柄谷行人『柳田国男論』について

柄谷行人『柳田国男論』(2013)には、1974年と1986年に発表された三本の柳田国男論が収録されており、その作家論的位置付けについては初出の「序文」(2013)で詳細に語られている。特に「柳田国男試論」(1974)に関しては、かの『マ…

むしろ冒頭は重要ではない。 ――保坂和志『未明の闘争』について

保坂和志『未明の闘争』(2013)には「文学の定型的思考を打ち破る」という惹句が寄せられている。とはいえ私の考えでは、本作の醍醐味は決して文学の定型的思考を打ち破ったことではなく……なにかを打ち破る、という発想自体が既に定型的である……定型的…

接続と切断、その中間 ――千葉雅也『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』を読んだ

千葉雅也は『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(2013)のなかで、ジル・ドゥルーズを「接続的ドゥルーズ」と「切断的ドゥルーズ」に分けている。フェリックス・ガタリとの共著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』などが…

【冬コミ】 『アニバタ』と『Fani 通』に寄稿しました。

こんばんわ、籠原スナヲです。 12月29日(日)から31日(火)の冬のコミックマーケットに参加することになりました。 ① アニメ・マンガ評論刊行会の『アニバタ 特集:魔法少女まどか☆マギカ』に文章を書かせて頂きます。ブログでの記事を下敷きに、T…

奇跡と救済、愉悦と転回 ――虚淵玄論2(『魔法少女まどか☆マギカ』について)

はじめに 劇場で『叛逆の物語』を見終えたとき、ようやく私はTV版の結末に感じたモヤモヤを晴らすことができた。足りないパズルのピースがやっと埋まってスッキリした、この物語を私はずっと待っていたのだ、と。 TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(2…

バッドエンド症候群を超えて ――虚淵玄論(小説『Fate/Zero』について)

はじめに なぜ、私たちは時として自他の不幸を望んでしまうのか。どうすれば、自他の幸福を望むことができるようになるのか。 虚淵玄は、株式会社ニトロプラスの取締役かつシナリオライターである。同社のデビュー作『Phantom』を手がけたのち『吸血殲鬼ヴェ…

虚実の解体、ゴーストの代償 ――川原礫『ソードアート・オンライン』論

「……遠すぎるよ、お兄ちゃんの……みんなのいる所。あたしじゃそこまで、行けないよ」――リーファ 川原礫『ソードアート・オンライン』は2002年からネット上で発表されていたオンラインノベルであり、同時に、2009年から電撃文庫で刊行されているライト…

スピヴァク『ポスト植民地主義の思想』について ――現代フェミニズムの地平

ここまで『デリダ論』『文化としての他者』『サバルタンは語ることができるか』を概観しながら、ガヤトリ・C・スピヴァクの思想がどのようなものかを追ってきた。彼女はジャック・デリダから受け取った「抹消の下に置く」身振りを、言説の暴力性や偏向性を…