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鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

『存在論的、郵便的』について ――東浩紀と柄谷行人(第一回)

 東浩紀のデビュー作『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』(一九九八)は、従来のデリダ観を覆したことで知られている。ふつう私たちは、デリダの思想の変遷を次のように理解している。すなわち、六〇年代において彼は「脱構築」の理論について語り、七〇年代からはその理論をテクストの実践に移したのだ、と。だが、東浩紀によればそれは間違っている。東はデリダの主要概念である「脱構築」が、実際には大きく分けて二つあると見なすのだ。これら二つの脱構築は、『存在論的、郵便的』においてそれぞれ「論理的、存在論的脱構築」「郵便的、精神分析的脱構築」と呼ばれる。デリダは六〇年代においては前者の脱構築について主に語り、七〇年代を期に後者の脱構築を全面化した。したがってそれは、理論として語っていたものをたんに実践に移した、という単線的な話ではありえない。これが東浩紀の主張だ。
 では「論理的、存在論的脱構築」と「郵便的、精神分析的脱構築」とはどのようなものか。それを知るには、たとえば前者の仕事は『声と現象』(一九六七)を読んでみるのがてっとり早いだろう。そこでは、フッサールの「表現/指標」という二項対立が脱構築されている。フッサール現象学において、「指標」とは私たちが考える一般的な表現を意味する。そこには表現を行なう自己と、表現を伝える媒介=文字や時間、そして表現を受け取る他者が要される。それに対して「表現」は、このような媒介や時間、他者を必要としない純粋な表現のことだ。たとえば、自分が発した声を自分で聞くような場合、そこにはどんな媒介も時間も他者も必要ではないように思われる。そしてフッサールはここから見出される「現在/自己/媒介を必要としない声」と、そうではない「過去/他者/媒介である文字」を区別するのだ。
 だが、デリダはそれを音声中心主義として批判する。デリダは自分が発した声を自分で聞くような場合、声を発した自分と声を聞いた自分は違う者なのだと言うわけだ。たしかに、この二つの間に差異がなければ発した声を聞くということは論理的にできない。とすると、自己が聞くその声はすでに他者としての自己の声ではないか。もはや、フッサールの「純粋な表現/そうではない指標」という二項対立は崩れ落ちている。そこには自己という他者が、現在という過去が、そして声という媒介=文字が忍び込んでしまっているのだ。デリダの造語である「差延」「痕跡」は、このフッサール批判を読むことでよりよく理解できるだろう。「異なる」「遅らせる」という二つの意味を持つ動詞differの名詞形である「差延」は、現在の自己のなかに過去の自己という「差異=遅れ」を持ち込む。そこでは過去はもはやたんなる過去ではなく、現在に刻まれる「痕跡」なのだ。
 論理的、存在論的脱構築とはすなわち、相手の形式や論理体系を逆手にとって徹底することで崩壊させるような営みを指す。だがこの脱構築はもう一つの脱構築とは異なり、いささか不充分なものを負っている。純粋な自己、現在、音声に「差異」を持ち込むデリダは、ある意味で「差異」を純粋なものにしてしまうのだ。差異に差異を持ち込んでも、差異の純粋化という事態は解決しない。しかも自己、現在、音声と異なり、この差異がどういったものなのかを私たちは語ることができない。なぜなら、そこには差異しか存在しないからだ。相手の形式や論理体系を崩壊させたはずの脱構築は、ここでもう一つの形式や論理体系を新たに構築してしまう。しかも、それ自体は語ることを許されていないキーワードを中心に据えて。このような空虚で否定的な概念によって支えられた形式や論理体系のことを、東浩紀は「否定神学」と名付けている。
 では、もう一方の郵便的、精神分析的脱構築はどういったものか。それこそが、デリダが七〇年代においてテクストの実践で示したものだというわけだ。たとえば『弔鐘』(一九七四)は全てのページを左右で区切り、左でヘーゲル、右でジュネを並行したまま論じていく。『絵葉書』(一九八〇)はフィクションらしき手紙の断片がその前半を占め、後半のフロイト論も未完成のままで投げ出されている。概説書『ジャック・デリダ』(一九九一)はページの上部にベニントンによる明快なデリダの造語解説が記され、下部にそれを裏切るようなデリダの自伝的文章(「割礼告白」)が載せられている。ここで行なわれているものはなにか。一言でまとめるなら、テクストが持つ全体性の否定、そしてキーワードの否定だ。言うまでもなく、テクストの全体を見渡せることと中心的な言葉があることこそが、新たな形式や論理体系を構築してしまう契機になるからだ。したがって用いられる語句も、他の著書を読まなければ理解できないまでに開かれている。
 分析哲学ジョン・サールとの論争をまとめた『有限責任会社』(一九八八)も見ておこう。この本にはサールの文章が(デリダの文章に引用されたものを除いては)全く掲載されていない。たんにサールがデリダの支離滅裂さに怒って対話を拒否したからだ。たとえば、デリダはサールの綴りSearleを意図的にSarlと間違え続けてみせる。そしてフランス語における「有限会社」の略称s.a.r.lをそれと結びつけるなど、ほとんど意味のない言葉遊びに長々と明け暮れる。サールはこれに激怒した。しかしその激怒は、デリダが批判したいサールの言語行為論からは決して導き出されない。サールはコピーライトあるいは署名をめぐる無意識の欲望を認めないからだ。とすればs.a.r.lというたんなる誤字へのサールの激怒は、デリダの批判を暗に認めてしまうことになる。もともとサールのデリダ批判はデリダの論理を反復しているだけであり、言わば「否認」の欲望しかない。デリダによるテクストの実践は、まさにその欲望をサールに自覚させるのだ。
 のちに『有限責任会社』は私たちにとって重要なテクストとなるため、三浦俊彦の書評(二〇〇三)を参考にもう少し追っていこう。ここで三浦は極めて興味深い分析を『有限責任会社』に行なっている。つまり、言語行為論者としてのサールと脱構築の哲学者としてのデリダの役割が入れ替わっているというのだ。サールは激怒の末に自分の文章を載せないことを決めた。するとサールはテクストのなかで「沈黙する他者」と化し、常にデリダの言い分を脅かす可能性が仄めかされることになる。先ほどのフッサール批判を思い出すなら、デリダのテクストという「自己」に差異を持ち込む「他者」「痕跡」というわけだ。一方でサールを執拗に批判するデリダの態度こそ、実は言語行為論者のそれだという。
 論争のきっかけは、三浦いわく「真面目な言説とはなにか?」という問いだった。サールは真面目な言説のために、標準的な言語の使用をよしとする。対してデリダは、サールの態度は「真面目」「標準」を上位に置くようなイデオロギーだと批判した。さて、言語には、コンスタティブ(事実的)な側面とパフォーマティブ(効果的)な側面がある。サールはこの二つをはっきりと区別するために、純粋な事実がよりよく伝わる言葉を用いようとする。対してデリダはこの二つを区別せず、純粋な事実のみの言葉は実のところきわめて権力的に振る舞っているのだ、とした。デリダはサールの論理的、方法論的な言語行為論者の立場を、形而上学的、政治的な脱構築の立場から批判したわけだ。実際にサールがたんなる誤字という「純粋な事実」に激怒したのは、そこに嫌がらせという「効果」を勝手に読み込んでしまったからだろう、それはサールが、たんなる自分の名前という「純粋な事実」にそれ以上の「効果」を、たとえば名声への無意識の欲望を抱えてしまっているからだろう、という風に。だがこのような批判を律儀に重ねるデリダは、実はサール以上に「真面目」になってしまっている。三浦はここにデリダ=サール論争の役割逆転を見て取るのだ。『有限責任会社』というテクストは、それ自体が「脱構築的言語行為論の模範演技であった」。
 これが郵便的、精神分析的脱構築だ。東浩紀は『存在論的、郵便的』の終盤で、精神分析における「転移」の問題にデリダの可能性を見出そうとする。三浦俊彦が語ったデリダ=サールの役割逆転は、まさにこの「転移」の問題だと言っていいだろう。相手のなかに自分を見出し、自分のなかに相手を見出す「転移」の営みは、相手の形式や論理体系が無意識のうちに否認しているものを引きずり出す。東浩紀にとって「転移」の問題は、のちの著書にとっても重要な概念になる。――だが、『存在論的、郵便的』はその詳しい分析に進まず、ほとんど唐突に終えられてしまっている。というのも、まさに東は七〇年代のデリダが行なったテクストの実践を、キーワードをカギカッコで括りながら描いてきたからだ。それこそが、論理的、存在論的脱構築が陥った罠であり、郵便的、精神分析的脱構築が乗り越えようとした「否定神学」の契機だったにもかかわらず。「それゆえ突然ながら、この仕事はもう打ち切られねばならない」という末尾。この一文は、かろうじてテクストの全体性を損なうことに成功している。「デリダの失敗」という語を東が決して用いなかったように、私たちもまた「東の失敗」と言ってはならない。この躓きは、脱構築の立場からすればむしろ成功なのだから。

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 私たちにとって興味深いのは、東浩紀デリダのこの変遷を柄谷行人の「転回」に重ね合わせていることだ。柄谷は『内省と遡行』(一九八五)では形式や論理体系を突き詰めることで「外部」に至ろうとしていたが、『探求1』(一九八六)ではむしろ「他者」とのコミュニケーションに可能性を見出していった。東は柄谷のこの「転回」もまた、デリダの論理的、存在論的脱構築から郵便的、精神分析的脱構築への変遷と同じなのだと解釈する。すなわち、『内省と遡行』までの試みとは論理的、存在論的脱構築であり、『探求1』からの試みとは郵便的、精神分析的脱構築なのだ、と。もちろん、柄谷とデリダの間にはいくつかの細かな違いがあることも東は述べている。具体的には『探求2』(一九八九)において、分析哲学者ソール・クリプキを援用した「単独性」についての論と、郵便的、精神分析的脱構築の差異がそれだ。二つ目の脱構築から「単独性」を完全に導くことはできない。
 では「単独性」とはどういったものか。ソール・クリプキは同じく分析哲学者であるバートランド・ラッセルの固有名詞論を批判している。ラッセルは固有名詞を、確定記述の束だと考えた。たとえば私たちは夏目漱石について、「日本人の近代文学者」「『吾輩は猫である』の作者」といった説明ができる。「夏目漱石」という固有名詞は、これら様々な記述が集まったものだと考えるのだ。「夏目漱石」と「『吾輩は猫である』の作者」という言葉などは、イコールで結ぶこともできるだろう。対して、クリプキは固有名詞が確定記述の束だとは考えない。もしものちの文学研究で、夏目漱石が『吾輩は猫である』の作者ではなかった、ということが判明したら。私たちは、もはや「夏目漱石は『吾輩は猫である』の作者ではなかった」と言うほかない。だとすれば、「夏目漱石」と「『吾輩は猫である』の作者」という言葉はイコールで結ぶことはできない。他のどんな記述をかき集めたとしても、それらと「夏目漱石」がイコールで結べないことは変わらないのだ。よって、固有名詞は確定記述の束には還元されないなにかを持つことになるだろう。クリプキが発見した固有名詞のこの性質を、柄谷は「単独性」と名づけた。それは固有名詞の問題を超えて、「この私」が決して他者と交換できないような性質を指している。
 しかし、ではなぜ固有名詞はこのような「単独性」を持っているのか。実はクリプキ自身は、その問いに対してなんらリアリティのある答えを出していない。ただ、ものや人を命名するような行為には「神秘的なもの」が宿っているのではないか、と言うだけだ。のちにクリプキの論を、精神分析家スラヴォイ・ジジェクはラカンにおける「主体」の理論に当てはめようとする。主体を構造化する言語体系はもともと不完全であり、その不完全さが固有名詞に「剰余=対象a」を与えてしまうのだ、と。クリプキジジェクが陥っているのが、かつて論理的、存在論的脱構築が陥ったのと同じ「否定神学」であることは明らかだろう。ラッセルの論理体系を崩壊させたはずのクリプキジジェクは、再び「神秘的なもの」「剰余=対象a」といった空虚なキーワードを中心に据えて新たな論理体系を構築してしまう。
 これに対して東は、デリダの郵便的、精神分析的脱構築を用いることで乗り越えようとした。要するに、固有名詞が「単独性」を持つ、などというのはたんに転倒している。そうではなく、重要なのは固有名詞の訂正可能性であり、いくつかの確定記述が私たちのもとへ届いたり届かなかったりする、あるいは早く届いたり遅れて届いたりするようなコミュニケーションの問題なのだ、と。コミュニケーションに中心的なキーワードは存在しないし、全体性もない。二つ目の脱構築が「郵便」という比喩で語られる理由だ。手紙は届いたり届かなかったり、あるいは早く届いたり遅れて届いたりする。東はこの世界を「郵便空間」と呼んでいる。そこでは手紙が私たちのもとへ届く速度(デリダはこれを「リズム」と名づけた)だけが重要なのだ。そして「単独性」を持つはずの固有名詞には、いつでも訂正可能性=遅れて手紙が届く可能性がまとわりつくことになる。それこそが、デリダが「幽霊」や「亡霊化」という比喩で語った事態だ。幽霊は見えたり見えなかったりするし、「この私」にとりつく機会を常に狙っている。幽霊の浮遊する郵便空間が「精神分析的」とも語られるのは、それがフロイトの理論とも響き合うからだ。フロイトは自我の図式を様々な情報が行き交う空間として捉え、たとえば「不気味なもの」が到来するのは、その情報たちの速度差が起こす錯覚だと考えた。それがどのような脱構築を可能にするのかは、すでに見てきたとおりだ。
 以上のように、柄谷が『探求2』で参照したクリプキの論はデリダによって乗り越えられてしまっている。だが、にもかかわらず東は柄谷の『探求1』における転回を高く評価している(むろん、『探求2』もクリプキに全てを負っているわけではないのだから、直接批判されているわけではない)。柄谷の考える「他者」とのコミュニケーションとは、デリダの「郵便的」なコミュニケーションと同じことだからだ。『探求1』の「他者」とは、私と規則を共有していない者を指している。たとえば、知らない言語を話す外国人や言語を知らない子ども。彼らと対話、すなわちコミュニケーションをするのは「命がけの飛躍」だと柄谷は考えた。規則を共有していなければ対話できない一方で、ひとたび会話が成立すると事後的に規則が共有されてしまうという飛躍。柄谷はこの飛躍がないような思考を独我論と呼び、批判した。規則を共有している共同体内の者たちと会話するのは閉じており、言わば独り言と似たようなものだからだ。
 どちらのコミュニケーションも成功したり失敗したりするし、中心的なキーワードも全体性も必要ない。東はこの共通点から、柄谷の『探求1』における転回とデリダの郵便的、精神分析的脱構築への変遷に同じ態度を見ようとするのだ。なお個人的には、この共通点は「探求」というタイトルにも見ることができるように思われる。よく知られているように、それまでの柄谷は『畏怖する人間』や『意味という病』など、中心的な主題を示す魅力的なタイトルを著書に当てていた。しかしこれは同時に、テクストへキーワードと全体性を与えることになる。『探求1』『探求2』「探求3」というぶっきらぼうなシリーズタイトルは、もはやそういった「否定神学」の罠とは無縁だ。実際、『探求1』のあとがきで柄谷は「私はこの仕事を無期限に持続するだろうという気がしてきた」と書く。先ほどの東による末尾と対照的ながら、その一文がテクストに与える効果はきわめて似通っているだろう。
 ところで東によれば、柄谷とデリダの共通点はこれら好意的な評価に留まらない。「探求3」以降の柄谷に対しても九〇年代のデリダに対しても、『存在論的、郵便的』でははっきりと理論的後退が読み込まれているのだ。「彼らの思考はまた興味深いことに、その「転回」以降もたえず否定神学へと落ち込んでいることでも共通している。実際私たちの考えでは、九〇年代のデリダが記した少なからぬテクストが強い否定神学的なモチーフで導かれている。前述したように例えば『法の力』においては、「正義」の観念は否定的逆説としてのみ検討されている。同様に柄谷もまた、九〇年代にはしばしば理論的に後退していると思われる。例えば彼が九三年に始めた「探求3」には明らかに、超越論性の条件を「主体」の構造、あるいは構造の欠如から位置づける試みへの回帰が読まれる。(略)私たちはここでデリダと柄谷の理論的可能性をかなり好意的に読んでいるが、実際には彼らの否定神学性はより細かく追跡されねばならない」。だが、東はこの問題には深く立ち入らなかった。
 さらに一つ、東は重要な問いを発している。「その本質的な並行性にもかかわらず、彼らのテクストが表面上まったく異なったスタイルで書かれたことである。柄谷は後期デリダとは対照的に、装飾的文体や語彙の戯れをできるだけ排した日本語で、きわめて「論理的」に見えるスタイルでテクストを構成する。ではこの差異は何を意味するのか?」。ここでも東は「残念ながらその問いについて本格的に論じるのは、また別の機会に譲らねばならない」として締め括っている。「私たちの考えでは、そこにはフランス語と日本語におけるエクリチュールの条件の差異が、大きく関係するはずだからである」というヒントと少しばかり長めの脚注が残されているが、決定的ではない。『存在論的、郵便的』第二章「二つの手紙、二つの脱構築」(一九九五)と同時期に書かれたらしい「ジャック・デリダ柄谷行人」(一九九五)という論文でも東はこの問いに取り組んでいるが、完全な答えに至ったわけではないようだ。だとすれば、私たちが『存在論的、郵便的』から受け取るべき柄谷行人の問題は、大きく分けてこの二つだと言えるだろう。すなわち、なぜ柄谷行人は「探求3」以降において理論的後退を強いられたのか、という問い。そして、なぜ柄谷行人ジャック・デリダと異なり「論理的」なスタイルに留まったのか、という問い。ここが私たちの出発点だ。