鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

誘惑する哲学者 ――柄谷行人『哲学の起源』感想

古代ギリシアの統治形態とそれに類似した現代思想。

①僭主政。不自由かつ不平等。→ファシズム

②デモクラシー。自由だが不平等。→アーレントおよびポパー(説得)。

③哲人王。不自由だが平等。→レーニン主義

④イソノミア。自由かつ平等。→フロイトおよびデリダ(誘惑)。

 

 柄谷行人『哲学の起源』で執拗に対比されているのは、アテネ帝国と古代イオニア、厳密にはアテネのデモクラシー(民主政)とイオニアのイソノミア(無支配)である。柄谷はアテネに現代の民主主義と通じる問題点を指摘した上で、それを超克する可能性をイオニアに見出すのだ。《アテネのデモクラシーが現代の自由民主主義(議会制民主主義)につながっているとすれば、イオニアのイソノミアはそれを超えるようなシステムへの鍵となるはずである》(p42)。なぜなら、デモクラシーの「自由」が外国人や奴隷を搾取する「不平等」なものだったのに対し、イソノミアの「自由」はそのような犠牲を払わない「平等」なものだったからである。その差異は、アテネがあくまで共同体意識・国家意識に囚われていたのに比べ、植民で構成されたイオニアがむしろそのような意識を嫌っていたことに起因するだろう。要するに、イオニアの人々は搾取されそうになるや否や逃げ出す「移動の自由」があったのである。

 柄谷は様々なイオニアの自然哲学を読みながら、そこにイソノミアの精神を発見していく。とはいえ、ここではそれらは扱わないでおこう。最も重要なのは、イオニア没落後のアテネにおいてデモクラシーに反旗を翻した哲学者・ソクラテスである。

 そもそもアテネのデモクラシー(民主政)は、市民が公的な評議会で行動する間に労働させる私的な奴隷を絶えず必要とし、そのため外国への帝国主義的な侵略が不可欠であった。そこではソフィストの弁論術もまた、他者を支配(説得)する手段として利用されていたと言ってよい。ソクラテスの哲学はこのような政治を懐疑するものであり、だからこそ裁判にかけられてしまったわけだ。彼は公的領域(行動)と私的領域(労働)の分割をカント的に侵犯し、私人として「正義のために戦う」ことを掲げた。また他者を支配(説得)するのではなく、相手が自ら心理へ赴くよう「誘惑」する問答法を創出したのである。ダイモン(精霊)の名のもとに語られたその倫理を、柄谷はフロイト風に「抑圧されたイソノミアの回帰」として解釈する。実際、無支配を貫くイオニアは労働を奴隷のものとして軽侮することがなく、したがって公的なもの(行動)と私的なもの(労働)に亀裂が走ることもなかったのだ。

 そして、こうしたソクラテスの営みを封印してしまったのがプラトン以降の形而上学だった。彼の著作は対話という名の内省に落ち着き、「平等」だが「不自由」な哲人王の理念を構想してしまったのである。

 本書が興味深いのは、イソノミア=ソクラテスに類似した現代の試みとして、フロイトの精神分析やデリダ脱構築などを挙げていることだ。《これは「対話」療法と呼ばれるが、通常の対話と異なる。患者の「自覚」を引き出す産婆術に近い》(p201)《彼がいうディコンストラクションとは、ある命題をいったん受け入れた上で、そこからそれに反対の命題を導き出して「決定不可能」に追いこみそれを自壊させるものであるが、それはソクラテスの方法にほかならない》(p232)。なお、アテネのデモクラシーに近い思想にはアーレントおよびポパーが、プラトンの哲人王に近い思想にはレーニン主義が名指されている。それらの記述をまとめると、冒頭のようになる。

 

 私が思い出すのは、國分功一郎『スピノザの方法』とドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』である。國分が示したのは、デカルトが他者への説得を試みる一方でスピノザはそうした試みを放棄しているということであり、ドゥルーズ+ガタリが語ったのは、内在平面を異にする哲学者同士に議論は不要であるということだった。これらの命題は、「説得や議論以外で他者と対話する方法」の実在を予感させるものだ。それは『哲学の起源』において、ハッキリと「ソクラテスフロイトデリダ」の名において、しかも極めて政治的に書かれていたのである。

 説得するのではなく、誘惑すること。それこそがプラトン以降において抑圧された思考であり、復活させるべき哲学なのだ。