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鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

ネグリ+ハート『マルチチュード』について ――ドゥルーズ+ガタリとのスタイルの差異など

 アントニオ・ネグリ+マイケル+ハート『マルチチュード――〈帝国〉時代の戦争と民主主義』(2004)は、『〈帝国〉――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(2000)の続編である。そもそも『〈帝国〉』は、グローバリゼーションに伴って現れた新しい世界秩序を〈帝国〉と名指し、それに対抗しうる可能性を「マルチチュード」と呼んで仄めかす書物だった。〈帝国〉とは国境を超えたネットワーク状の権力であり、マルチチュードとはそのネットワークを逆手に取って連帯し合う主体群のことである。『マルチチュード』は〈帝国〉時代に生じた戦争の在り方について記すとともに、このマルチチュードが推進する民主主義の希望について述べた書物、と要約できよう。

 

 著者のひとりであるアントニオ・ネグリは、もともとオートノミズム(自治主義、自律主義)の指導者として知られていた。1979年、極左組織「赤い旅団」のテロを主導した冤罪で逮捕されると、1983年に獄中で議会選挙に立候補し当選、特権によって釈放された数ヵ月後にフランスへ亡命する。1997年に帰国して自主的に収監され、2003年に正式に刑期を終えた……という、なかなか凄まじい経歴の持ち主である。2008年に訪日した際は事実上の入国拒否を言い渡されたが、2013年の首相官邸前抗議行動には顔を出したようだ。

 ところでオートノミズムは社会主義のひとつだが、国家や労働組合や政党に頼らない自律的な階級闘争を重視する、労働者階級そのものをかなり広く定義する、などの特徴を持っている。またオートノミズムを支持するフェミニストなら、非賃金の女性労働を重視したりもするだろう。こうした思想がネグリ自身のスピノザ研究とマルクス研究、さらにもうひとりの著者マイケル・ハートドゥルーズ研究と出会うことで、マルチチュードなる概念を生み出したのであろうことは想像に難くない。まさにマルチチュードとは、従来の労働者階級の定義に縛られず、次世代的な階級闘争の形を提示する〈危険な階級〉なわけだから。

 筆者がここで注目したいのは、ジル・ドゥルーズ(およびフェリックス・ガタリ)とネグリ+ハートの差異である。ドゥルーズ+ガタリの抽象的かつ難解な内容に比べると、ネグリ+ハートの哲学は極めて具体的であり明瞭であり、誤読の余地が少ないものになっている。このことは、ハートの『ドゥルーズの哲学』がドゥルーズを政治的ないし実践的に読み込む書物だったことを考えれば、容易に納得できよう。スピノザの汎神論やドゥルーズ+ガタリの「機械」概念、またミシェル・フーコーの「生権力」概念などが、ネグリ+ハートの思想においては単純化され(さらにしばしば意図的に曲解され)、政治的なものに特化させられている。ネグリはしばしばドゥルージアンと称されるが、彼は決してドゥルーズ思想の素朴な継承者なわけではない。

 たとえば『マルチチュード』の文章には、ドゥルーズ+ガタリなら決して書かなかっただろう箇所がそこかしこに散見される。序文では本書が概念を扱う哲学書であることを断った上で、《本書に「何をなすべきか?」という問いに答えたり、具体的な行動プログラムを提示したりすることを期待しないでいただきたい(中略)どうか忍耐強く読み続けていただきたい》(p24)と記している。そして想定される批判には、前もって応答しておくという親切心すら見せるのだ。それはドゥルーズ+ガタリが《いずれにしても、誤解を見越して反論するにはおよびません。誤解の予測なんてできっこありませんからね。それに誤解が現実のものとなったあとも、誤解と戦う必要はないのです》(「フェリックス・ガタリとともに『アンチ・オイディプス』を語る」)と述べていたのとは対極の位置にあると言ってよい。そこにネグリ+ハートの誠実さを読み取れるし、あるいはドゥルーズ+ガタリの大胆さに改めて驚きもする。

 

 なお『マルチチュード』は、2001年から2003年まで続いたイラク戦争とほぼ同時並行で書かれた書物でもある。それゆえ第一部「戦争」の文章は、アメリカ合衆国の単独行動主義を正面から批判するという文脈を負い、第二部「マルチチュード」および第三部「民主主義」で語られる希望に切迫感を与える結果となった。10年ほど経った今でも、ネグリ+ハートが「例外状態の全面化」と形容したグローバルな戦争状態は終わる気配を見せてくれないし、「民主主義の危機」を唱える論者も数多い。彼らの構想する「全員による全員の統治」は一見すると荒唐無稽な夢物語に感じられるが、しかしシリアスな夢であることは確かなのだ。

 

マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)

マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)

マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)

マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)