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鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

スピヴァク『ポスト植民地主義の思想』について ――現代フェミニズムの地平

 ここまで『デリダ論』『文化としての他者』『サバルタンは語ることができるか』を概観しながら、ガヤトリ・C・スピヴァクの思想がどのようなものかを追ってきた。彼女はジャック・デリダから受け取った「抹消の下に置く」身振りを、言説の暴力性や偏向性を暴き立てるギリギリの綱渡りとして、またはサバルタンと呼ばれる弱者に語りかけるコミュニケーションの術として、高度に理論化=実践化していることが分かる。今回はインタビュー集『ポスト植民地主義の思想』(1990)を読むことで、彼女が置かれていた状況にも迫ってみよう。

 

 ここで注意すべきは、当時の批評界を席巻していたポストモダン論あるいはポストモダニズムである。リオタールが述べるように大きな物語が終焉を告げ、フーコーが説くような新歴史主義が受け入れられるなか、批評家はどのような政治的コミットメントを目指せばよいのか……ごく簡単に言えば、そうした課題がアカデミズムには重くのしかかっていたようだ。もはや左翼は、かつてのマルクス主義を普遍的かつ非暴力的な立場だと言うわけにはいかないが、かといって、マルクス主義に代わり普遍性や非暴力性を保証する思想も未だに手に入れていない。

 そんななか台頭してきた思想の具体例が、ポストコロニアリズムあるいはマルチカルチュラリズムということになるだろう。私たちは、西洋が東洋を帝国主義的に植民地支配していた時代の後(poste)に生きており、複数の文化が平等かつ自由であることの素晴らしさを素朴に認めることができる。そこで必要になるのは、普遍性や非暴力性を保証する単一の思想ないし文化に性急に飛びついてしまうのではなく、むしろ、普遍性や非暴力性の装いを断念した思想ないし文化を地道に蓄積していくことだ……こうした考えが、ポストコロニアリズムやマルチカルチュラリズムには宿っている。

 以上のように纏めてみると、スピヴァク思想の一般性と特殊性が同時に浮き彫りになってくる。たしかにスピヴァクは、ポストコロニアリズムフェミニズムを語るという意味では当時の流れに従っているが、マルクス主義を語るという点では当時の流れに逆らっているだろう。当然ながら、西洋と東洋を問題にするポストコロニアリズムと、男性と女性を問題にするフェミニズムと、富者と貧者を問題にするマルクス主義は全て別個の思想である。それらは互いに協調し合うこともあれば、逆に、互いに敵対し合うことも大いにありうる。

 だからこそ、スピヴァクデリダ脱構築……特に「抹消の下に置く」身振り……を重要視しているのである。スピヴァクにとってのフェミニズム批評は、なによりもまず従来の制度を攪乱することにあると見なしてよい。それは書くことの戦略を通して、自明に思われていた私たちの自己同一性を揺さぶることである。単純に複数の思想ないし文化の対等性を主張するのではなく、理論的に実践的に、自身が複数の思想ないし文化のなかに巻き込まれ引き裂かれてみること。たとえばインドでは光になりうる思想が、アメリカでは容易く闇になりうる……そうした事実において生きること。

 言ってしまえば、凡庸なマルチカルチュラリズムにはなくてスピヴァク思想にはあるものこそ、この脱構築への配慮である。少し考えれば了解できることだが、マルチカルチュラリズムは複数の文化の対等性を主張しているにもかかわらず、自分自身は常にひとつの思想でしかありえない。そこでは拒絶したはずの普遍性や非暴力性の偽装が、巧妙に再導入されてしまうだろう。他方でスピヴァクはポストコロニアリズムフェミニズムマルクス主義に巻き込まれながら、自身の文化的表現および政治的代表さえ複数化してみせる。事実、彼女の思想が訴えるのは普遍性や非暴力性への志向ではなく、現存する暴力の構造に対して絶えず駆け引きを続けることである。それは確固たる目的や終焉を伴った実践政治ではなく、オープンエンドの実践政治を私たちに要求するはずだ。

 

 ……むろん、スピヴァクが複数の立場を脱構築によって整理する俗流デリディアンなどではないことは、最後に付け加えておくべきだろう。あるインタビューで、いみじくもスピヴァクは「わたしは脱構築をそれほど必要としなくなり、それにもっと価値を与えています」(p244)と宣言し、あるときにはデリダ本人や彼の愚かな崇拝者たちと袂を分かつことさえ厭わないだろう。脱構築脱構築脱構築……は、決してひとつの立場に辿り着くことも特権を与えることもない。しかし逆説的なことだが、それゆえにまさしく彼女は「抹消の下に置く」脱構築の正統な後継者なのである。

 

第1回 http://sunakago.hateblo.jp/entry/2013/05/21/064353

第2回 http://sunakago.hateblo.jp/entry/2013/06/28/082153

第3回 http://sunakago.hateblo.jp/entry/2013/08/22/215255