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鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

通過儀礼の恋人たち ――山田尚子論2(『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』について)

 山田尚子京都アニメーション所属の監督、演出、アニメータである。TVアニメ『けいおん!』と『けいおん!!』(原作:かきふらい)、およびその劇場版である『映画けいおん!』で初の監督を務めた。さらにオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』、およびその劇場版である『たまこラブストーリー』を監督しており、いずれの作品も高い評価を得ていると言うことができる。私の考えでは、おそらく今後の国内アニメーションについて語るとき、彼女と彼女の創造した作品は決して欠かすことのできないものになるだろう。

 本稿の狙いは『けいおん』『たまこま』両シリーズを通して見ることで、彼女とそのスタッフが掲げている世界観とテーマに肉薄することである。先に結論から言ってしまえば、それは日常性の停滞と更新の対比であり、空気感の共有と切断の対立ということになるだろう。

 

 

2 北白川たま子と大路もち蔵 ――TVアニメ『たまこま』と劇場版『たまこラ』

 次に『たまこま』シリーズについて検討していこう。山田尚子らのTVアニメ『たまこまーけっと』本編は全12話で放映された。おおよそ物語は、人語を解する鳥として南の国の王家に仕えるデラ・モチマッヅィの漂流と、うさぎ山商店街の餅屋「たまや」の長女である北白川たまことの交流を描く。そののちに、南の国に帰ったデラ・モチマッヅィたちを描く劇場版『南の島のデラちゃん』と、うさぎ山商店街に留まった北白川たまこたちを描く劇場版『たまこラブストーリー』が同時公開された。これらは全て、原作なしのオリジナルである。

 最初に注目すべきは、原作モノだった『けいおん』シリーズとオリジナルである『たまこま』シリーズの差異である。前者においては、先立って原作版『けいおん!』が日常性の停滞や空気感の共有を構築しており、アニメ版『けいおん』はその世界観をズラすことに本質が置かれていたはずだ。しかし後者においては、そのような前提条件はそもそも存在していない。それゆえ山田尚子とそのスタッフは、原作版のような停滞性・共有性を自分たちの手で成立させたうえで、アニメ版のような更新性・切断性をも描かなければならなかったのである。

 日常と空気の停滞性に関して言うべきは、あたかも原作版『けいおん!』の後日談がそうだったように、TVアニメ『たまこまーけっと』の後日談が大きく2つに分裂していることである。平沢唯中野梓が別れたあとも作品が続いたように、デラ・モチマッヅィ北白川たまこが別れたあとも作品は続く。たとえばデラは南の国でチョイ・モチマッヅィやメチャ・モチマッヅィと暮らし、たまこはうさぎ山商店街で様々な人々と暮らしていくだろう。ここにあるのは、原作版『けいおん!』のような日常性と空気感を描こうとする意志である。

 他方でその更新性について言うべきは、本シリーズが物語の舞台を学園のみならず商店街や南の国にまで拡大しており、登場人物もより老若男女入り混じったものにしていることである。平沢唯中野梓と比べると、北白川たまことその友人たちが未来将来について想いを馳せる必要性、そして異性同性について心を悩ませる必然性は大きく増していると言えよう。ここにあるのは、アニメ版『けいおん!』以上に成長や別離の問題意識を成立させようとする意志、日常を更新し終わらせるとともに空気を切断し改めていこうとする意志である。

 日常性を停滞させるものと更新するものの著しい対比、それが『けいおん』シリーズを参照したときの『たまこま』シリーズの特徴なのだ。

 さらに本作では、こうした更新性と停滞性の対比はそのまま「外来的なもの」と「日本的なもの」の二項対立として描かれている。そもそも『映画けいおん!』からして、青春の終わりと別れに対する「喪=卒業旅行」の舞台はロンドンに、すなわち外来的な場所に設定されていたはずだ。おそらく山田尚子たちの世界観・価値観には、言わば「外来的な更新」と「日本的な停滞」との二分法が存在しており、それが『たまこま』シリーズでは遺憾なく発揮されているのである。もし本作に往年の人情コメディを想起させる部分があるとすれば、それは以上のような事情によるものである。

 まずTVアニメ『たまこまーけっと』においては、まさに「南の国」が日常を更新させるものとして表象され、他方で「うさぎ山商店街」が日常を停滞させるものとして表象されているだろう。たとえば、南の国から来たデラには「王子の妃候補を探す」という明確なゴール設定があるが、商店街に暮らす老若男女の営みには総合的な目的意識など存在していないわけだ。あるいは、商店街にある2つの餅屋「RICECAKE Oh! ZEE」と「たまや」の対比も同様である。前者の主人・大路吾平は洋風で革新的な餅屋を志向しているが、後者の主人・北白川豆大は和風で保守的な餅屋を貫いている。

 ここで興味深いのは、メインヒロイン・北白川たまこが日常の更新性(外来性)と停滞性(日本性)の双方に引き裂かれているということだ。作品前半では、北白川たまこは停滞性(日本性)に結び付けられている。というのも彼女のホクロや花の匂いは亡き母親を連想させるものであり、その母親の痕跡こそが「たまや」を和風で保守的な餅屋に留めていたからだ。しかし作品後半では、北白川たまこは更新性(外来性)に延長されてしまう。なぜなら「南の国」の鳥占官チョイ・モチマッヅィが来日したことで、先のホクロや花の匂いは「王子の妃候補であること」の証拠になってしまうからだ。

 最終的に北白川たまこは、日常の停滞性(日本性)と更新性(外来性)のいずれか選ぶのかという問題に直面するだろう。それはTVアニメ『たまこまーけっと』では、うさぎ山商店街に残って「たまや」の長女として家業を継ぐのか、あるいは南の国に赴いて王子メチャ・モチマッヅィと結婚するのか、という選択として表出されている。この点で私たちは、彼女を悩ませる首筋のホクロが、山田尚子の身体的特徴を投影したものであることを意識してみても構わない。停滞と更新のジレンマを抱えているのは物語内のヒロインだけではなく、物語外のクリエイターでもあるのだ。

 

 ただし本作はチョイの宣告が偽りだったと明かすことで、結局のところ北白川たまこの決断を曖昧なものにしてしまっている。のみならず、TV版の物語はデラ・モチマッヅィの帰国が失敗したところで切り上げられており、全体として別離と成長の問題意識は棚上げにされてしまっているだろう。あくまでTVアニメ『けいおん!!』が完結した作品であるのと比べてみれば、いささかTVアニメ『たまこまーけっと』の結末は中途半端と言わざるを得ない。だからこそ、のちに公開された劇場版2作は重要なのだ――筆者はそう考える者である。

 特に『たまこラブストーリー』が描き切ったのは、タイトルが示すとおり王道のラブストーリー的枠組である。

 もともとTV版の時点において、本シリーズの恋愛的要素は出揃っていたと言うことができる。たとえば「RICECAKE Oh! ZEE」の長男である大路もち蔵は、「たまや」の長女である北白川たまこに片想いをしており、その告白は2人の同級生・常盤みどりの思惑によって妨害されている。ここには既に、北白川たまこの日常を更新させる者(大路もち蔵)と停滞させる者(常盤みどり)の対比が、言ってしまえば女にとっての異性的なものと同性的なものの二項対立として表現されている。しかしこの関係が区切りを迎えるには、おおよそ劇場版を待たなければならなかったのだ。

 本作は青春の終焉と別離のテーマを強化するために、三年生である彼らに進路決定の悩みを与えている。実家を継ぐことのみ考えている北白川たまこも、進学の折に上京しようと決意している大路もち蔵(更新性)と、ただ漠然と進学を考えている常盤みどり(停滞性)との間で、やはり微妙な心理の変化を被っているだろう。付け加えれば、同じく同級生である朝霧史織が留学のためにホームステイの予定を立て、他方で牧野かんなが実家の仕事にならって進学先を決定するとき、こうした二項対立は再び外来性と日本性の二分法に重ねられているのだ。

 以上のごとき構図は、実のところ北白川たまこの家族たちが先立って経験したものである。かつて北白川豆大が北白川ひなこに恋をしてラブソングを贈り、北白川ひなこもまた豆大に恋をしてラブソングを贈り返すことで、彼らは現在の北白川たまこの父母になったのである。あるいは北白川たまこの妹・北白川あんこは、好きな男の子・柚季が引っ越す際には走って追いかけただろう。ラブストーリー的枠組とそれに伴う青春の終わりや別れの気配は、本作では徹底されていたのだ。周囲について補足しておけば、商店街の面々がそれぞれ抱いている愛情も、そして南の国の王子メチャに対するチョイの恋心も描かれていたはずである。

 最終的に北白川たまこは、日常の停滞性(日本性)と更新性(外来性)のうち後者を選ぶことになった。それは要するに、家族や商店街における日常が弛まぬ更新の産物であることを知ったがゆえであり、自分自身の日常もまた絶えず更新されていくことを認めるがゆえの選択である。映画『たまこラブストーリー』において表出されたのは、生まれる前の記録を残したカセットテープと幼い記憶を呼び起こす教室の風景、そして未来への不安を感じさせる祖父の事故や現在を急がせる友人の言葉だった。広がりを持った時間の感覚に後押しされる形で、彼女は決断を果たしたのである。

 それはある意味において、TV版と劇場版を共に監督した山田尚子の決断でもあっただろう。彼女は『たまこラブストーリー』について「たまこの内面を映画で掘り下げたいと思いました」「自分のことも大事にできるたまこを描きたいと思いました」と述べ、ラブストーリー的枠組について「ラブストーリーは全てが「挑戦」でした」「たまこの恋を描く、という覚悟なんだと思いました」と言っている。まさしく彼女はヒロインの、ひいては自分自身の内面を掘り下げていくとともに、作家としてより高みへ登ることができたのである。

 

山田尚子の言葉は『たまこラブストーリー』公式サイトより引用した)