鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

相対的な他者へ、あるいは自明性の懐疑へ ――柄谷行人(編)『近代日本の批評1&2:昭和篇(上・下)』について

 まず柄谷行人(編)『近代日本の批評1:昭和篇(上)』には、1925年から1935年までの日本近代批評を扱った論文と討議、そして1935年から1945年までの日本近代批評を扱った論文と討議が収録されている。いずれの論文も執筆しているのは柄谷行人であり、またどちらの討議も参加しているのは浅田彰柄谷行人蓮實重彦三浦雅士の四名である。

 また柄谷行人(編)『近代日本の批評2:昭和篇(下)』には、1945年から1965年までの日本近代批評を扱った論文と討議、そして1965年から1989年までの日本近代批評を扱った論文と討議が掲載されている。このうち前者の論文を執筆しているのは三浦雅士、後者の論文を執筆しているのは浅田彰であり、いずれの討議も参加しているのは浅田彰柄谷行人蓮實重彦三浦雅士の四名である。

 

 柄谷によれば、1925年以降の日本近代批評には他者としての読者(=大衆)が出現していた。ここで確認すべきは、他者には「絶対的他者」と「相対的他者」の二種類が存在していることである。たとえば福本主義はプロレタリアートに絶対的他者を見出し、小林秀雄は自分自身の内部に絶対的他者を見出した。そしてそこでは「意識」ではなく「自然」の位相が勝利していたと言えよう。他方で文芸復興は、相対的他者を消去するような装置として機能していた。たとえばマルクス主義が絶対的他者に耽溺したように、保守勢力は日本的なものや美的なものに耽溺することで相対的他者を抹消し、想像力のなかでだけ近代主義を超克して満足しようとしたのである。そしてそれに抵抗し得たのは、詩的精神ではなく散文精神を重視する勢力、あるいは日本に対して他者としてのアジアを重視する勢力だけであった。

 相対的他者の抹消とは自己同一性の構造を担保してしまうことであり、自己を支える諸制度を自明のものとしてしまうことである。

 三浦によれば、1945年以降の日本近代批評にて重要なのは中村光夫江藤淳小林秀雄吉本隆明である。たとえば中村光夫は「近代」「文学」の自明性を批判することで近代的・文学的であろうとし、この影響下で、江藤淳は近代と文学を批評する新たな方法を獲得しようとしたのだ。また小林秀雄が深いマルクス理解のもとで当時のマルクス主義者を批判したように、吉本隆明は「マルクス主義」の自明性を批判することでマルクス的であろうとした。ただし浅田によれば、1965年以降の江藤淳吉本隆明は国家や共同体についての構造主義的な立場に向かうだろう。そこでは日本にとって〈表層・中心〉である西欧的・近代的な現在ではなく〈深層・周縁〉としての東洋的・前近代的な歴史が重視されることとなった。他方で柄谷行人蓮實重彦は、以上のごとき構造そのものが動揺する〈現実的なもの〉を模索し、それらを「外部」「他者」「記号」と呼びながら表現してきたと言えよう。そこでは祝祭としての通俗的革命論も、消費社会における通俗的ポストモダン論も懐疑されることとなった。