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鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

神山健治『009 RE:CYBORG』について

 神山健治『009』は監督・脚本の迷いが露骨に現れている映画だ。すなわち保守的に行くのか革新的にやるのか、あるいは娯楽作品にするのか文芸作品にするのか、そういう基本的な方針が定まっていないように思われる。原作に対して強欲貪欲だったのか優柔不断だったのかは分からないけれど。


 たとえばキャラクターの造型。009たちの容姿はよりリアル志向なものにリデザインされている。それ自体はべつにいい。しかしにもかかわらず、中国人である006の喋り方が未だに「~アル」のままなのだ。これはおかしいだろう。新しさを示すか古さを残すかの塩梅がぎこちないように思う。
 また本作は009たちサイボーグ戦士を全て登場させ、それぞれひと通りの見せ場を設けている。娯楽作としては正しい。しかし同時に神山は何か重たいメッセージを提示しようともする。ドラマとしては登場人物の数が多すぎるしバトルシーンが長すぎる。結果としてどちらも半端に終わっている。
 こうしたぎこちなさは、神山健治『009』を「誰かサイボーグが登場して哲学するかバトルして引き、誰かサイボーグが登場して哲学するかバトルして引きを繰り返し、その合間を縫って主人公の009が急に何かを決意したり急に何かを慟哭したりする」映画にさせてしまっている、と私は思う。
 つまるところ、100分ちょっとの映画でエンタメの片手間に「神とは云々」みたいな議論が展開できると思ってはいけないのだろう。

 

(個人的な好みとしては「なんだか深そうなテーマによって作品の雰囲気を重くしたがるくせに、最終的な解決は主人公の八面六臂な活躍と安易な自己犠牲に丸投げ」っていうのはもう勘弁してほしいなと思いました)。