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鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

戦後の性、そして忘れた家と思い出す友――TVアニメ『ガールズ&パンツァー』論

 TVアニメ『ガールズ&パンツァー』は、主人公の西住みほが県立大洗女子学園で戦車道のリーダーを務め、チームを全国大会優勝に導いていくアニメである。戦車道とは1945年8月15日までに設計された戦車を使って行なう武芸であり、この作品では「女の嗜み」とされているようだ。改めて記すまでもなく、1945年8月15日とは日本が世界大戦に負けた日であり、女の嗜みとはジェンダー規範――女らしさという命令――のひとつだろう。本作の設定においては、「戦後」の問題と「ジェンダー」の問題が接ぎ木されているのだと言ってよい。

 まず指摘しなければならないのは、登場する多くの学園と県立大洗女子学園の対比構造である。前者は、そのほとんどが世界各国のテンプレートをなぞったデザインを施されている。聖グロリアーナ女学院(イギリス)、サンダース大学付属高校(アメリカ)、アンツィオ高校(イタリア)、プラウダ高校(ロシア)という風に。この意匠は、あたかも戦車道の全国大会を世界大戦のリプレイに仕立てようとしているかのようだ。他方で後者は、そのようなテンプレートを踏まえていないどころか、戦車の外装や内装を個人的な趣味に染めてしまいさえする。それゆえ主人公たちの存在は、世界大戦のリプレイに水を差すものとしてある。ここにあるのは、「戦後」の記憶を忘却して過去を召喚しようとする想像力と、あくまで「戦後」の記憶を想起して現在に留まる想像力の拮抗だろう。県立大洗女子学園が一度は戦車道を廃止していた設定、打ち捨てられた戦車を拾って再軍備するエピソードはあまりに象徴的である。

 この対比は、両者の戦術の差異にも表れている。多くの学園が火力に頼ったストレートな戦法を採るのに対して、県立大洗女子学園は弱さを補うトリッキーな戦法を選ぶ。無線傍受を携帯電話で出し抜いたサンダース戦に代表されるように、それは過去的なものと現在的なものの対決でもあるはずだ。

 この関係が最も強く押し出されているのが、黒森峰女学園と県立大洗女子学園の交戦である。前者は西住家の長女・まほに率いられ、勝つためなら仲間も見捨てる冷たい美学を体現している。また西住まほは、旧主的な「家のイデオロギー」を背負って立つ者でもあるだろう。したがって彼女の戦争イメージは、同時にきわめて排他的な「女の嗜み(ジェンダー規範)」と共にあるように思われる。他方で後者は西住家の次女・みほに率いられ、決して仲間を見捨てない暖かな倫理に支えられている。また西住みほは、廃校を阻止するという「友のイデオロギー」を引き受けて立つ少女でもあるだろう。これは、第一話で彼女が友人を庇って戦車道に復帰したこととパラレルの位置にある。よって彼女の戦争イメージは、同時にきわめて包括的な「女の嗜み(ジェンダー規範)」に寄り添っていると考えられる。そこで演じられているのは、「戦後」の歴史を忘れて「家」を蘇生するロマンチシズムと、「戦後」の歴史を覚えて「友」と共生するロマンチシズムの戦いであると言えよう。そして本作は、こうした「友」との共生によって敵と和解していくドラマでもあるのだ。

 以上の観点を踏まえ、県立大洗女子学園のメンバーを見てみよう。主人公・生徒会・風紀委員という複数の中心を持つ彼女たちの特徴は、一言で言えば戦争イメージの脱臼である。バレー部員たちはあらゆる局面をバレーボールの用語に置換し、歴女たちはどんな状況も古今東西の戦局に接続してしまう。自動車員たちは戦車を自動車に還元し、ネトゲグループは戦車をデジタルに解釈する。武部沙織、秋山優花里、西住みほ、五十鈴華、そして冷泉麻子といったメインキャラクターたちの場合、その多様性はさらに細分化されるだろう。

 たとえば武部沙織の戦車道にはジェンダー規範の問題のみがあり、秋山優花里の戦車道には戦争のイメージのみがあると整理可能だ。また、戦車道と「家のイデオロギー(西住流)」のカップリングに「友のイデオロギー」で立ち向かったのが西住みほなら、むしろ戦車道を利用して華道と「家のイデオロギー(五十鈴流)」の結託を乗り越えたのが五十鈴華であり、そもそも「家のイデオロギー(祖母)」と「友のイデオロギー」を並列させ相対化していたのが冷泉麻子だと言えるかもしれない。そこでは、統一された戦争のイメージも統一されたジェンダー規範も全く保たれない。つまるところ「戦後」を経たとはこういうことであり、逆にそれをなかったことにしなければ世界大戦のリプレイも「家」の復権も望むことなどできないのだ。

 

(このアニメって、右傾化批判とか軍国主義批判の槍玉に挙げられているんですか? だとすれば、私はそれに真っ向から異議を唱えます。この記事で示したように、ガルパンが描いた物語は……意図がどうあれ……そういう単純な回帰願望には回収されないように思われるからです)