鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

2013-01-01から1年間の記事一覧

このボカロ曲がすごい! ――2013年版

①ATOLS『プリセット』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21868513 ②task『明けない夜を壊せ』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm19806841 ③じーざすP『しんでしまうとはなさけない!』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm20331479 ④sasakure.UK『ツギハ…

批評という檻、解釈の迷宮 ――山川賢一の初期三部作について

山川賢一は新進気鋭の文芸批評家として、これまでに三つの単著『成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論』(2011)『Mの迷宮 『輪るピングドラム』論』(2012)『エ/ヱヴァ考』(2012)を上梓してきた。全て近年話題になったオリジナルアニ…

日本近代文学の起源の起源 ――柄谷行人『柳田国男論』について

柄谷行人『柳田国男論』(2013)には、1974年と1986年に発表された三本の柳田国男論が収録されており、その作家論的位置付けについては初出の「序文」(2013)で詳細に語られている。特に「柳田国男試論」(1974)に関しては、かの『マ…

むしろ冒頭は重要ではない。 ――保坂和志『未明の闘争』について

保坂和志『未明の闘争』(2013)には「文学の定型的思考を打ち破る」という惹句が寄せられている。とはいえ私の考えでは、本作の醍醐味は決して文学の定型的思考を打ち破ったことではなく……なにかを打ち破る、という発想自体が既に定型的である……定型的…

接続と切断、その中間 ――千葉雅也『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』を読んだ

千葉雅也は『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(2013)のなかで、ジル・ドゥルーズを「接続的ドゥルーズ」と「切断的ドゥルーズ」に分けている。フェリックス・ガタリとの共著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』などが…

【冬コミ】 『アニバタ』と『Fani 通』に寄稿しました。

こんばんわ、籠原スナヲです。 12月29日(日)から31日(火)の冬のコミックマーケットに参加することになりました。 ① アニメ・マンガ評論刊行会の『アニバタ 特集:魔法少女まどか☆マギカ』に文章を書かせて頂きます。ブログでの記事を下敷きに、T…

奇跡と救済、愉悦と転回 ――虚淵玄論2(『魔法少女まどか☆マギカ』について)

はじめに 劇場で『叛逆の物語』を見終えたとき、ようやく私はTV版の結末に感じたモヤモヤを晴らすことができた。足りないパズルのピースがやっと埋まってスッキリした、この物語を私はずっと待っていたのだ、と。 TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(2…

バッドエンド症候群を超えて ――虚淵玄論(小説『Fate/Zero』について)

はじめに なぜ、私たちは時として自他の不幸を望んでしまうのか。どうすれば、自他の幸福を望むことができるようになるのか。 虚淵玄は、株式会社ニトロプラスの取締役かつシナリオライターである。同社のデビュー作『Phantom』を手がけたのち『吸血殲鬼ヴェ…

虚実の解体、ゴーストの代償 ――川原礫『ソードアート・オンライン』論

「……遠すぎるよ、お兄ちゃんの……みんなのいる所。あたしじゃそこまで、行けないよ」――リーファ 川原礫『ソードアート・オンライン』は2002年からネット上で発表されていたオンラインノベルであり、同時に、2009年から電撃文庫で刊行されているライト…

スピヴァク『ポスト植民地主義の思想』について ――現代フェミニズムの地平

ここまで『デリダ論』『文化としての他者』『サバルタンは語ることができるか』を概観しながら、ガヤトリ・C・スピヴァクの思想がどのようなものかを追ってきた。彼女はジャック・デリダから受け取った「抹消の下に置く」身振りを、言説の暴力性や偏向性を…

対話の欠乏、内省の肥大。 ――大澤信亮『新世紀神曲』感想

「そういう話がしたいなら評論を書けばいいんじゃないかしら?」――菖蒲みずき 大澤信亮『新世紀神曲』(新潮社、2013)の表題作は、批評としては少し型破りなスタイルを採用している。最近の現代日本小説の主要登場人物を使って、ある種の対話篇を書こう…

【文フリ】 『アニバタ vol.6』に文章が載ります。 【11/4】

こんばんわ、籠原スナヲです。 2013年11月4日(月)の文学フリマで頒布される『アニバタ vol.6』に、拙稿を載せて頂きました。TVアニメ『Free!』について論じています。 公式はこちら:http://www.hyoron.org/anibata6 続報は追ってお知らせします…

ボカロ私的良曲まとめ ――2013年8月&9月現在

① ATOLS『プリセット』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21868513 ② カラスヤサボウ『ジャスティファイドジェノサイド』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21482257 ③ niki『パラノイド』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21604528 ④ MATERU『脳内革命ガー…

ネット社会に「闇」はあるか? ――平野啓一郎『決壊』について

「しかし、彼がそこからどうしても逃れられないのは、彼の知る他者が、現実の他者と少しも矛盾しないように感ぜられることだった」 平野啓一郎『決壊』(2008)の主眼は、その紹介文によれば「絶望的な事件を描いて読む者に〈幸福〉と〈哀しみ〉の意味を…

文化と政治の植民地 ――エドワード・サイード『オリエンタリズム』感想(上)

エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』(1978)は、オリエンタリズムの理論とポストコロニアル理論を確立した書物である。簡単に言えば……オリエンタリズムとは、アジアや中東への誤解とロマンティシズムに満ちたイメージの領域であり、ポストコ…

美しい飛翔の夢想、醜い戦争の現実 ――宮崎駿『風立ちぬ』について

宮崎駿『風立ちぬ』が描く「飛行機」の表象は、美しい夢想と醜い現実の二律背反に置かれている。たとえば、カプローニとカストルプの対比を見てみよう。カプローニは世界的に著名な飛行機製作者のイタリア人であり、しばしば堀越二郎の夢のなかに現れる。そ…

抵抗としての生、救済としての死 ――TVアニメ『Angel Beats!』論

TVアニメ『Angel Beats!』(以下『AB』)は、2010年に放送されたオリジナル作品である。小説、漫画、4コマ漫画などの関連作品がつくられ、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の審査委員会推薦作品に選ばれている。その主題は、原作・脚本を務…

スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』について ――現代フェミニズムの地平

スピヴァクがジャック・デリダ『グラマトロジーについて』の英訳序文を書くことで受け取った最大のものは、彼の「抹消の下に置く」身振りだった。その身振りは『文化としての他者』において、言説が孕む暴力性と偏向性を暴き立てるギリギリの綱渡りを可能に…

ボカロ良曲まとめ ――2013年6月&7月現在

こんにちは、籠原スナヲです。 2013年6月から7月にかけて聴いたボーカロイドオリジナル曲のなかで、個人的に素敵だなと感じたものをまとめました。 ① みきとP+keeno『kiss』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21011936 ② sasakure.UK『ツギハギエデ…

【告知】 『アニバタ vol.5』『概念迷路』に寄稿しました。 【コミケ】【コミティア】

こんにちは、籠原スナヲです。 2013年8月10日~12日に開催されるコミックマーケット、および8月18日のコミティアにて頒布される評論集『アニバタ vol.5 特集:P.A.WORKS②作品論編』に拙稿を載せて頂きました。ちなみに、私はTVアニメ『花咲く…

イデオロギーの空虚な本質 ――ジジェク『否定的なもののもとへの滞留』感想

スラヴォイ・ジジェク『否定的なもののもとへの滞留 ――カント、ヘーゲル、イデオロギー批判』(1993)は、カントからヘーゲルまでのドイツ観念論をラカン派精神分析の理論とともに解釈し、その解釈を現代のイデオロギー批判に適用したものである。当時の…

個人主義は今や保守的である? ――平野啓一郎『ドーン』感想

平野啓一郎『ドーン』(2009)は一言で言えば、個人主義と分人主義の対立と和解を描いた作品である。個人主義とは、私たちの精神に単一の「主体」を想定する人間観であり、分人主義とは、そのような「主体」を想定しない人間観である。前者の場合、表層…

出来事の超越論性、欲望の分裂分析 ――國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』感想

國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』は、近年注目されている〈政治的ドゥルーズ〉の問題に真正面から答える書物だ。ドゥルーズの哲学には〈政治性〉があるのか、あるとすればそれはどのようなものなのか――この疑問を明らかにするため、國分はドゥルーズ哲学…

スピヴァク『文化としての他者』について ――現代フェミニズムの地平

デリダ『グラマトロジーについて』の英訳を手がけたスピヴァクが長大な「序文」で示したのは、「抹消の下へ置く」身振りへの並々ならぬ関心だった。それは彼女には、デリダの脱構築思想と他の現代思想を分ける大きな境界線に見えたのである。では、その関心…

【サンシャインクリエイション60】 『Fani通2012(下)』に寄稿しました。

6月23日(日)のサンシャインクリエイション60にて頒布される『Fani通2012(下)』に拙稿を載せていただくことになりました。2012年度下半期アニメ総合感想本です。 公式はこちら:http://d.hatena.ne.jp/f-kai/20130622/1371848782 お買い…

ネグリ+ハート『マルチチュード』について2 ――柄谷行人との関係

ネグリ+ハートの哲学は、様々な形で日本の批評・思想に影響を与えている。たとえば宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(2011)の「拡張現実の時代」「リトル・ピープル」といった枠組は、濱野智史が指摘するように、ネグリ+ハートの言う「〈帝国〉時…

ボカロ良曲まとめ ――2013年4月&5月現在

①tilt『ヒカレルサテライト』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm20433562 ②ピノキオP『ゲームスペクター2』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm20538987 ③電ポルP『恋空予報』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm20574984 ④out of survice『東京リアルワー…

戦後の性、そして忘れた家と思い出す友――TVアニメ『ガールズ&パンツァー』論

TVアニメ『ガールズ&パンツァー』は、主人公の西住みほが県立大洗女子学園で戦車道のリーダーを務め、チームを全国大会優勝に導いていくアニメである。戦車道とは1945年8月15日までに設計された戦車を使って行なう武芸であり、この作品では「女の…

スピヴァク『デリダ論』について ――現代フェミニズムの地平(1)

ガヤトリ・C・スピヴァク(1942~)はジャック・デリダ『グラマトロジーについて』(1967)の英訳を手がけ、そこに長大な序文(1976)を記した。彼女はデリダの略歴を紹介し終えるや否や、ヘーゲルとデリダの関係から「序文」一般の問題を説い…

軽さと重さ、あるいは衝動としての愛 ――坂上秋成『惜日のアリス』について

もし小説に「正しい読み」があるのだとすれば、おそらく私は『惜日のアリス』を正しく読むことができていない。それどころか、おおよそ「作者の意図」とは真逆の解釈をしてしまったように思われる。しかし、「それがどれだけ気まずく悩ましい瞬間だとしても…