鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

マルティン・ハイデガー『存在と時間』について(上)

マルティン・ハイデガー『存在と時間』は、超越論的な原理たる「存在」の意味に関する問いを提示している。ハイデガーは、存在の意味に関する問いを反復する必要性を感じているらしい。まず本書は、存在の意味に関する問いを形式的・構造的に整理している。…

愛せない男たちの肖像 ――石原慎太郎論(「完全な遊戯」について)

0 ――遊戯の位置 石原慎太郎(1932~)は『太陽の季節』(新潮社、1956)で文学界新人賞と芥川龍之介賞を受賞してから、『北壁』(三笠書房、1956)、『狂った果実』(新潮社、1956)、『日蝕の夏』(三笠書房、1956)、『理由なき復讐…

ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』について ――現代フェミニズムの地平

ジュディス・バトラー(1956~)は1990年に『ジェンダー・トラブル』を発表した。本書は副題が示すとおり、私たちの性的アイデンティティに何らかのトラブルを起こすための理論書、それを通じて従来のフェミニズムに再考を促すための哲学書だったと…

批評とは何か? ――エドワード・サイード『知識人とは何か』『人文学と批評の使命』について

エドワード・W・サイードは『知識人とは何か』(1994)と『人文学と批評の使命――デモクラシーのために』(2004)のなかで次のように問うている。知識人、あるいは人文学者や批評家とはどのような存在であり、彼らは民主主義においてどのような使命…

梯子としての哲学 ――ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』について

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』は「語りうるものについては明晰に語りうるし、語りえぬものについては沈黙しなければならない」と述べている。これは思考可能なものと思考不可能なもの、というより表現可能な思考と表現不可能な思考の…