鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

性的なもの、政治的なもの(下) ――大江健三郎『性的人間』論――

オイディプスと戦後日本 先ほどわたしは、ラカン派精神分析によれば最初の法とは父であると述べた。母と子の関係を断ち切り、子に名を与える父の存在(父の名=否)である、とも。では、Jという名をJに与えた者とは、父とは誰を指すのか。「そもそもその青…

性的なもの、政治的なもの(上) ――大江健三郎『性的人間』論――

代理=表象、そして法の裁き「性的人間」という作品に対し、作者である大江健三郎本人は次のようなことを述べている。「「性的人間」と「政治的人間」。政治的に牝になった国の青年は、性的な人間として滑稽に、悲劇的に生きるしかない。政治的人間は他者と…

名和晃平「シンセシス」とデジタルな視線

1 その展示は、何回でも順路を辿ることができた。 初めの部屋にあるのは、四角い箱の数々だった。その内側にはそれぞれ植物や椅子、食べものや靴が収められているらしい。しかし目をこらし、また見る場所を変えると、内側のオブジェは揺らぎ、二重になり、…

メディアアートと内面、そしてオリジナル性

1 メディアアートの意義 メディアアートとはどういったものか? もしそれがメディア(媒介)を要とするアート(芸術)だとすれば、あらゆるアートはメディアアートにならないか。絵と字を描きつける壁も、音と声を載せ運ぶ空気も、また一つのメディアなのだ…

記号として、匿名として――津村記久子『ポトスライムの舟』論

工場で働く二九歳の女性ナガセは、自分の年収と世界一周旅行の費用が、同じ一六三万円であることを知る。「働く=時間を金で売る」虚しさへ立ち向かうように、ナガセはその日から得る一年分の「金=時間」を、世界一周という行為のために蓄えようとする。しか…