鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

ジェンダー の検索結果:

ヘイトスピーチ、ポルノグラフィ、カミングアウト ――ジュディス・バトラー『触発する言葉』について

…ないはずだ。 初著『ジェンダー・トラブル』について ジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル』において、生物的性と文化的性と性的欲望が相互浸透を起こしていることを分析し、そして構造主義と精神分析が異性愛中心主義を再生産していることを暴露した。これは生来的で固定的な性的アイデンティティを想定する立場に批判を加え、女であることを基盤にしてきたフェミニズムに再考を促すものであった。バトラーのフェミニズムにとって重要なのは、構造主義的・精神分析的な異性愛中心主義を攪乱するための身…

愛せない男たちの肖像 ――石原慎太郎論(「完全な遊戯」について)

…は「素直に愛することが出来ない男(主体)」への因果応報は描かれているが、問いそのものへの応答は記されていない。しかるに「完全な遊戯」においては、礼次と武井たちという複数の男から多面的に女を捉えることで、自分にとって「素直に愛することが出来ない女(客体)」とはどのようなものかを簡潔に描き切ったのではないだろうか。そのように考えれば、なるほど本作は――そのジェンダー論的な是非はひとまず置いておくとして――石原慎太郎にとってひとつの文学的達成点であり、優れた作家性の発露なのである。

ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』について ――現代フェミニズムの地平

…~)は1990年に『ジェンダー・トラブル』を発表した。本書は副題が示すとおり、私たちの性的アイデンティティに何らかのトラブルを起こすための理論書、それを通じて従来のフェミニズムに再考を促すための哲学書だったと言えよう。フーコーのジェンダー論・セクシュアリティ論に影響された彼女は、生物的性と文化的性の二分法そのものを問いに付し、男女の固定化それ自体が権力の産物であることを浮き彫りにした。そこでバトラーが唱えるのは、異性愛中心主義に対するパフォーマティブな攪乱行為である。 バトラ…

これは対幻想2.0だ。 ――東浩紀『セカイからもっと近くに』の歴史性

…もなく、かかる図式はジェンダー論的ないしクィア理論的な吟味に曝されるものであり、吉本は『対幻想――n個の性をめぐって』において応答の必要性に駆られている。ヘテロセクシュアルの男女を特権的な立場に置く理論は、様々なセクシュアルマイノリティに関する理論とどのように両立しうるのか……このことは多くの論者にとって簡単に答えられる問題ではないだろう。以上の歴史を踏まえれば、東浩紀が単純に血縁のネットワークのみをよしとしているわけではないこと、だからこそライトノベルやミステリやアニメやS…

奇跡と救済、愉悦と転回 ――虚淵玄論2(『魔法少女まどか☆マギカ』について)

…主になってしまったのだから。それゆえ暁美ほむらが鹿目まどかを魔法少女にさせまいと決意するとき、それは、彼女という人間をキャラクター化させない(アイドル化させない)という価値を孕んでいるのである。本稿では示唆に留めておくが、そこにはジェンダー論的ないしフェミニズム的に極めて意義深いものがあると考えてよい。 (虚淵玄らの言葉は各種インタビューおよび単行本あとがきに準拠した) 前回 http://sunakago.hateblo.jp/entry/2013/11/04/100040

戦後の性、そして忘れた家と思い出す友――TVアニメ『ガールズ&パンツァー』論

…であり、女の嗜みとはジェンダー規範――女らしさという命令――のひとつだろう。本作の設定においては、「戦後」の問題と「ジェンダー」の問題が接ぎ木されているのだと言ってよい。 まず指摘しなければならないのは、登場する多くの学園と県立大洗女子学園の対比構造である。前者は、そのほとんどが世界各国のテンプレートをなぞったデザインを施されている。聖グロリアーナ女学院(イギリス)、サンダース大学付属高校(アメリカ)、アンツィオ高校(イタリア)、プラウダ高校(ロシア)という風に。この意匠は、…

これは「母性」ではない。――『おおかみこどもの雨と雪』論

…性」なのだ。ほぼ序盤で死んでしまう狼男こそ、花と雨と雪を陰から支える「不在の他者」なのである。それは、『サマーウォーズ』の栄が死ぬことで、家の団結をより強固にしたこととはまた異なっている。栄が子どもに示すのは単一の道であり、狼男が子どもに教えるのは道の複数性なのだ。 ところで、雨が「母」に、雪が「父」になるというのは否応にもジェンダーの攪乱を想起させる。『サマーウォーズ』におけるカズマや『おおかみこどもの雨と雪』における雨の中性的魅力は、また別の機会に論じることとしたい。

BLと百合のフェミニズム

…もと、「BLや百合にジェンダー的な批評性を期待することはできない」と書いている(しかし、今ではこうした考え方を採ることはない)。 また、しばらくすると、私は「なぜ女性はBLにハマるのかという問題や、BLにハマる女性と百合にハマる男性の非対称性の問題を考えることには意味がない」と書いている。「BLにハマる男性と、百合にハマる女性」の二者が零れ落ちてしまうというのがその理由の一つだし、「一般的なBLや百合に収まらない形でLGBTを扱ったポルノ」を無視してはいけない、とも書いている…

性的なもの、政治的なもの(下) ――大江健三郎『性的人間』論――

…葉から伺える、大江のジェンダー意識である。つまりここでの問題は、もともと牡だった国、青年にしか焦点を合わせていない。女性は排除されており、その差異が彼女たちの名に現れているのではないか(しかしそれでも、Jの妹という名は固有名詞からほど遠いという意見もあるだろう。そのことについてさらに検証するために、わたしたちは次の項へ進みたい)。 政治的なファリックガール Jの妹という名の曖昧さの理由を示す箇所を次に示そう。「その時、Jの妹が椅子を立って進み出た。ガラスの破片を室内靴でギシギ…