鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

アイドルとファンの垣根を越えて。 ――TVアニメ『ラブライブ!』論

 TVアニメ『ラブライブ!』は、音ノ木坂学院の生徒である高坂穂乃果たちが、スクールアイドルとして活動する学園ドラマである。そもそも『ラブライブ!』とは、架空のスクールアイドル「μ’s」の日常や物語を雑誌上で展開しつつ、PV付きの楽曲を販売するという合同プロジェクトだった。その特色のひとつは、ユーザーが企画に「参加」できるということにある。具体的にはユニット名やミニユニットの構成、さらにPVのセンターポジションやイメージガールの決定にユーザーの声が反映されるのである。これは、かつてのアニメやゲームにはあまりない試みと言ってよい。

 TVアニメ『ラブライブ!』は、これまで断片的に示されるだけだったアイドルたちのストーリーを明確に描き出す役割を負っていた。とはいえその内容は単なる補完を越えて、極めて批評的なテーマを持っていたように思われる。先に結論を言うなら、そのテーマとは「アイドル」と「ファン/アンチ」の相補的な関係である。もともとの合同プロジェクト『ラブライブ!』が採用した「ユーザー参加」という形式を、TVアニメ版のエピソード群は象徴レベルで反映しているのだ。本稿では現在進行中の漫画版は一旦脇に置き、主にTVアニメ版に話を絞って進めていこう。

 

 まず、第三話のラストを見てみよう。この時点で「舞台」に立つ「μ’s」メンバーは高坂穂乃果、園田海未、南ことりの三人のみである。のちにグループに加わる小泉花陽、星空凛、矢澤にこ、絢瀬絵里、東條希、西木野真姫は、未だファンないしアンチとして「観客席」に佇んでいるわけだ。その意味で彼女たちは、『ラブライブ!』というプロジェクトの「ファン」あるいは「アンチ」である現実の私たちと構造的に同一なのである。このことは、たとえば作中で希が「μ’s」というユニット名を考案したことなどからも了解できよう。リアルの世界におけるファンとクリエイターの共同作業が、フィクションの世界においてはアイドルたち本人の営みに転位しているのだ。

 ここで重要なのは、第四話から第一〇話までの流れである。「ファン」や「アンチ」であった少女たちが、次々と「μ’s」のメンバーになっていくのだ。それは現実の「ユーザー参加」という形式を、より突き詰めた形で反映させたものだと言える。いささか乱暴に要約するなら、TVアニメ『ラブライブ!』は、ユーザーの「アイドルを応援したい」という間接的な望みを「アイドルになりたい」という直接的な願いに推し進めたうえで叶えてみせるのだ。従来の「アイドル/ファンとアンチ」という隔絶を解体しようとする想像力が、この作品にはある(なお、似たような分析が可能な漫画として『AKB49』などが挙げられる)。

 しかし、第一一話および第一二話でひとつの問題が生じる。それは「ファン」や「アンチ」であった少女たちが「μ’s」に参入すればするほど、「アイドル」にとっての外部的メインキャラクターは失われていくということである。事実、抑圧のなくなった主人公の高坂穂乃果は暴走して体調を崩し、また幼馴染である南ことりの悩みに気づけないという大失敗を犯してしまう。結果として「μ’s」は、スクールアイドルのトーナメント「ラブライブ!」へのエントリーを取り消してしまうのだ。この事態は、『ラブライブ!』というプロジェクトの形式と本作の構造が一致しなくなったこととパラレルの関係にある。アイドルとファンは、あくまで別の項として区別されていなければならないだろう。かといって単に「アイドル/ファンとアンチ」の構図に回帰するだけでは、旧来のスタイルに逆戻りするだけである。

 

 では、どうすればよいのか。ここで解決の鍵となる人物こそ、高坂穂乃果のもう一人の幼馴染・園田海未に他ならない。最終回の彼女は、「アイドル/ファンとアンチ」の二分法を回復しつつ再解体するという恐ろしく複雑な操作を行っているのだ。

 自分を責めて「μ’s」を脱退した高坂穂乃果は、矢澤にこや絢瀬絵里といった人物に後押しされ、誰もいない舞台に立ってひとり決意を新たにする。そこへ園田海未が現れ、観客席に留まったまま彼女を励ますのだ。第三話での「アイドルの少女たち(舞台)/ファンやアンチの少女たち(観客席)」という対立軸のイメージは、このシーンであからさまに復権させられる。他方で園田海未は、既に「μ’s」を辞めていた南ことりを引き留めるよう高坂穂乃果に伝えるのだ。直前に再演した「アイドルの少女たち(舞台)/ファンやアンチの少女たち(観客席)」の図式は、南ことりの再加入というイベントによって二度目の脱臼を果たすのである。「アイドル/ファンとアンチ」の懸隔を近づけては戻し、もういちど近づけてみせること。筆者は、TVアニメ『ラブライブ!』の主題をこの絶え間無い運動に見出すのである。