鳥籠ノ砂

籠原スナヲのブログ。本、映画、音楽の感想や考えたことなどをつらつらと。たまに告知もします。

日本近代文学の起源の起源 ――柄谷行人『柳田国男論』について

 柄谷行人『柳田国男論』(2013)には、1974年と1986年に発表された三本の柳田国男論が収録されており、その作家論的位置付けについては初出の「序文」(2013)で詳細に語られている。特に「柳田国男試論」(1974)に関しては、かの『マルクスその可能性の中心』(1978)と並行して執筆されていたこと、あの『日本近代文学の起源』(1980)に先駆した問題を扱っていたことが判る。私たちは『日本近代文学の起源』において繰り返し言及される柳田国男の重要性、柳田国男と関係していた国木田独歩田山花袋の重要性に改めて注目できよう。また「柳田国男論」(1986)の問題意識は『世界史の構造』(2010)を経て、来年『遊動論――山人と柳田国男』として文藝春秋より出版される予定だという。

 

 柄谷行人マルクスその可能性の中心』と『日本近代文学の起源』は、たしかに専門家の視点から言えば細かい部分に瑕疵があるのかもしれないが、批評的な観点から読めば大まかな主題自体には今なお面白いものがあると言える。両者に共通しているのは、資本主義社会や近代国民国家をもっぱら「貨幣」「言語」から語る態度であり、貨幣や言語の均質化にこそ資本主義社会と近代国民国家の成立を見る姿勢である。特に後者の問題意識は、制度的な告白(言語行為)等によって風景(客体=客観)と内面(主体=主観)を明確に分離する近代的主体が構成されたこと、それゆえ未だ構成されざる児童が近代において発見されたということにあった。まさしく、そのような児童概念を吟味するにあたって柄谷が依拠した人物こそ柳田国男なのである。

 柄谷行人マルクスその可能性の中心』『日本近代文学の起源』においては、貨幣や言語といった物質的条件を問い続けたマルクス本人や夏目漱石が評価され、逆にそうした条件を捨象する多くのマルクス主義者や近代文学者たちが批判された。そのような基準が必要だったのは、おそらくマルクスを読むにあたって物質的条件を捨象した……捨象できると考えてしまった吉本隆明を批判するためである。吉本が洗練させた上部構造論(『共同幻想論』)においては共同体(共同幻想)と個人(個人幻想)は常に対立しており、したがって「政治と文学」もまた対立することになるだろう。しかし柄谷行人によれば、言語の均質化こそが個人や共同体といった概念を同時に成立させるのであり、だからこそ「政治と文学」を区別させる下部構造を論じなければならないのだ。

 こうした基準は「柳田国男試論」においても通底しており、田山花袋(告白)や国木田独歩(風景/内面)の志向した「文学」と、柳田国男の目指した「民俗学」は明晰に峻別されていると言ってよい。それは言い換えれば文学的な「観念」の重視と民俗学的な「モノ」の重視を分けて考えること、あるいは「個人」という観念への注目と「文体」というモノへの注目を分けて考えることを意味する。柄谷行人の読む柳田国男には「言葉」「経験」「記憶」といった具体的な現象から常に出発しつつ、その上で抽象的な思考が成立する条件を問おうとする方法的意志がある。柳田国男は「人間」「精神」の優位を自明のものとせず、むしろ「自然」「身体」から絶えず出発し、そのうえで人間や精神になにが可能かを問うているのだ。

 柄谷行人は「柳田国男試論」のなかで次のように書いている。

「柳田の倫理学は、人間と人間の関係にではなく、人間と自然あるいは自然と自然との関係にすえられている。そのなかで、精神はなにをなしうるか。柳田が突きつめて考えていたのはそういう問題だ。そこに、あの方法的意志があらわれる。方法的であることによってしか、精神は存立することはできない。精神が負わされた宿命を、柳田国男ほどに考え且つ実行した人を私は知らないのである」

 この文章を読んで私が思い出すのは、先に挙げた『世界史の構造』で柄谷本人が貫こうとした倫理学、上部構造(人間と人間の関係)ではなく下部構造(人間と自然あるいは自然と自然の関係)に据えられた倫理学である。彼は生産様式ではなく交換様式のもとで世界史的な構造を考えようとするなか、共同体(と対になった個人)であるところの交換様式Aとは別の連帯(と対になった単独者)を発見した。交換様式Dと呼ばれるその在り方こそ、おそらく去年の『哲学の起源』でイソノミアと名指され、来年の『遊動論――山人と柳田国男論』で山人と名指されるものだろう。柄谷行人が人間の精神になにが可能かを問い続けて、そこにあの方法的意志が貫かれているのであれば、私はひとりの読者としてそれを追わないわけにはいかないのである。